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協会の歴史

1. 江戸時代

地区通運会社の歴史は、商法上登記されている創立年よりかに古く、その源流は遠く江戸「宿駅」制度の時代にまで至る。
当時の陸上輸送は主として「飛脚による伝馬所」を中継基地とした「人馬継ぎ立て」のシステムによって担われていた。

2. 明治初期

A. 陸運元会社と陸運会者の成立

明治4年3月、前島密によって建議された官営郵便制度がスタートしたが、これは江戸時代を通じて営業してきた飛脚の主要業務である「郵便逓送業務」を政府が取り上げることであり、「宿駅制度およびそれを支えてきた、「伝馬所」の否定につながるものであった。
そこで、政府は代償として明治5年7月、各地の宿駅の「伝馬所」を「陸運会社」に衣更えし、これを統括する組織として「陸運元会社」を創設させ、これに政府関連物資の輸送を独占的に担当させて保護することとした。
「陸運元会社」は、政府から請け負った政府関連貨物の輸送を全国の「陸運会社」に下請けさせて全国輸送網を形成したのである。
このとき、各地に設立された「陸運会社」が、今日の多くの地区通運会社の母体と言える。

B. 内国通運株式会社の設立と「陸運元会社」「陸運会社」の廃止

「陸運元会社」および「陸運会社」は江戸時代からの「伝馬所」をそのまま引き継いで成立したため、前近代的な体質を色濃く残していた。
貨物輸送の近代化を急いでいた政府は明治8年2月、太政官布告を発令し、「陸運元会社」および「陸運会社」を廃止し、かわって「内国通運株式会社」を設立させた。
「内国通運株式会社」は、各地の「陸運会社」を代理店として継承するとともに、不足の地域については取次店を設置する等、全国輸送網を整備していった。
これにより、「陸運会社」は内国通運の代理店としての「運送店」に変身したのである。

3. 明治中・末期における営業の質的転換と小規模業者の乱立の時代

A. 鉄道の伸展にともなう営業内容の大転換

明治20年代になると、鉄道網が著しく拡充された。それにともない従来、長距離輸送を担ってきた馬車輸送に代わって鉄道輸送が主役となり、内国通運およびその下請け組織である「代理店」「取次店」の主要業務はそれまでの「馬車輸送およびそれに付随する集配業務」から、「鉄道貨物取扱い」に質的な大転換を余儀なくされた。

B. 小規模業者の乱立

それまでの幹線輸送を担っていた「馬車輸送業」を開業しようとすれば、馬や馬車の調達や宿駅の維持運営が必要であり、相当の資力信用がなければ開業できなかったのに対して、「鉄道貨物取扱業」は、僅かの人間とハカリ1個があれば簡単に開業できるため、小規模業者が乱立し、鉄道輸送の効率と円滑な取引きを著しく損なうようになったのである。

4. 小運送集の集約・合同の時代

A. 鉄道運送取扱人公認制度

明治末期から大正時代にかけては、日本経済の拡大期ということもあり、小規模業者の乱立がつづき、鉄道省は大正8年6月、「鉄道運送取扱人公認制度」を制定し、小運送業者の整理・統合をはかった。

B. 鉄道省声明と小運送業界の集約合同

小規模業者の乱立と業界の混乱はその後もつづき、遂に鉄道省は大正15年6月、声明を発表し、小運送業界の集約合同に乗り出した。
すなわち、中央における大規模統括会社の合同と、地方における小規模業者の、1駅1店制による合同である。
地方では、各駅において、それまで同一の駅で過当競争を繰り広げてきた運送店同志が合同して、1駅1店の合同運送会社を設立していった。
このときの経過を踏んで誕生した合同運送会社が、今日の地区通運会社の前身であり、このときを会社創立の年としている地区通運会社も多い。

5. 戦時統合(日通統合)の時代

A. 合同運送会社の日本通運統合政策

昭和12年10月、「日本通運株式会社法」「小運送業法」が制定され、1駅1店制にむけての集約合同の努力が続けられ、全国小運送網の整備は一応の成果をおさめつつあったが、昭和16年にいたり戦時色が濃くなると、さきに1駅1店制政策で成立した、全国一体の通運会社をつくるため全国主要都市の合同運送会社を日本通運に統合する政策が強力に推進されることとなった。

B. 地区統合会社の成立

続いて昭和16年11月、陸運統制令が改正され、17年1月から第2次日通統合政策がさらに強力に進められた。このとき日通統合地区として指定されない地域については、当該「地区別」、または「鉄道の線区別」に統合がすすめられた。
この統合政策で成立した会社が、当時「地区統合会社」と呼称されたもので、多くの会社がこのときに、「○○通運」を名乗り、このときを会社創立の年としている会社も多い。

6. 地区統合会社の日通統合政策と終戦・戦時統合の廃止

太平洋戦争の戦局が逼迫した昭和20年8月6日、当時残っていた地区統合会社もすべて日本通運に統合することとなり、統合の協議が行われていた最中の8月15日に終戦となり、この時点で日本通運統合政策はすべて廃止となった。このとき日通統合を免れた「地区統合会社」こそ、今日の「地区通運会社」なのである。

7. 「全国地区通運親和会」の結成

こうして歴史の波に揉まれた「地区通運会社」は、歴史の偶然により統合を免れたが、戦時中に日本通運に統合された他の多くの地区統合会社とその生い立ちを同じくするものであり,それぞれの地域においては第一の信用ある運送業者として、その後、日本通運の全国輸送網の一翼を担う存在として、戦後を生き抜いてきた。
これら全国輸送網を有効に機能させるためには発送地と到着地の密接な連携が不可欠であり、また歴史上同様な生い立ちを共有するもの同志という関係から、地区通運会社相互の連携とコミュニケーションの円滑化をはかるため昭和31年10月、「全国地区通運親和会」が結成された。

8. 「全国地区通運協会」の設立

昭和30年代の終り頃から、通運事業の根幹である鉄道輸送に翳りが見えはじめ、30年代後半になると、駅頭における通運業者の長年の営業の歴史を顧みることなく、貨物取扱駅集約(駅集約)政策が強硬に押し進められ、地区通運会社の営業の基盤が根底から奪われることとなった。
この事態に対し、通運業界として統一して対外的に意思表示をする必要性に迫られ、「親和会」から一歩踏み出した組織が必要となってきた。
当時、通運関係の業界団体としては、(1)旧免業者(日本通運と地区通運会社)で構成する「全国通運協会」(昭和25年2月全国小輸送業組合連合会から改称)、(2)新免業者(昭和25年の通運事業法改正に伴い新たに免許された通運業者)で構成される「全国通運業連合会」(昭和25年7月設立)、および(3)日本通運、地区通運会社および新免業者の3者で構成される「全国通運業連盟」(昭和27年2月設立、昭和46年5月社団法人・全国通運連盟と改組)が存在していたが、地区通運会社独自の全国組織としては、さきの「全国地区通運親和会」しか無く、昭和40年7月、「全国地区通運協会」が設立された。
平成30年6月19日、協同組合 全国地区通運協会となり、現在に至る。